2014年09月08日

里山幻想【後編】

『里山資本主義』を読んだら、是非とも併せて読んでおきたいと思ったのが、こちら。
今森光彦さんの写真集などで目にする緑の生い茂った里山。豊かな自然の象徴のような風景ですが、あれは本来の里山の姿ではありません。



森林飽和―国土の変貌を考える (NHKブックス No.1193)

地球規模で進行する深刻な森林破壊。日本でも都会には高層ビルが立ち並び、郊外では山が切り開かれ宅地開発や道路の建設が進められています。しかし実際のところ、日本では緑が失われるどころか森林が増えているのです。
日本の森林破壊は飛鳥時代から既に始まっていました。大規模な宮城や寺院の造営で、都周辺の森林は失われていきました。戦国時代以降、農地の開発で人口が増加し、製塩や製鉄などの産業の発達もあって、森林の荒廃はますます進行します。江戸時代には日本の至る所が「はげ山」だらけになったそうです。
化石燃料のなかった時代、エネルギーは森林資源しかなく、建築はもちろん舟や道具の材料もすべて木材でした。里山とは森林資源を得るための場所であり、伐採されて荒廃し、洪水や土砂災害が頻発しました。樹木の生い茂った現在の「里山」は、かつての里山の跡地なのです。
明治以降、治山治水の意識が高まりましたが、第二次世界大戦で森林は再び荒廃。日本の緑豊かな山々は、戦後半世紀ほどで作られた風景だったのです。

現在の日本は森林は十分に回復しており、むしろ飽和状態にあるといいます。しかし量的に豊かであっても、質的に良い森林であるとはいえません。森林が豊かになった一方で、新たな問題も生じています。海岸の砂浜流出、野生動物による被害、花粉症などです。
また、私たちの単純な「自然志向」にも疑問を呈します。自然林と人工林とで土壌の維持能力に差はないそうです。森林には、生物多様性を保全するための「護る森」と人間が利用し管理すべき「使う森」とがあるといいます。
一般向けの書物にしては専門的な用語・表現が多くなっていますが、決して読み難い本ではありません。東日本大震災の大津波で失われた海岸林の再生や、近年頻発する大規模土砂災害のメカニズムなど、興味深い話題を多く取り上げています。
森林に対する常識を一変させる一冊です。

(満足度 ★★★★★)


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里山幻想【前編】

お久しぶりです。
不純文学交遊録では、旬のベストセラーを追いかけるよりも比較的マイナーな書物を採り上げてきましたが、今更ながら大ベストセラー新書『里山資本主義』を読んでみました。
この本、タイトルがイヤな感じで手を出したくなかったのです。自然に帰れとか資本主義の限界とかを能天気に主張する「脳内お花畑」本の一種ではないかと思って。



里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)

しかし杞憂でした。
本書のタイトルはあくまで里山「資本主義」であって、資本主義を否定する本でありません。
これが単なる「里山主義」だったら、評価は★ゼロです。
里山資本主義とは、地産地消資本主義あるいは地域循環資本主義と言い換えて間違いではないでしょう。
本書は里山資本主義をマネー資本主義にとって代わるオルタナティブではなく、リーマンショックのような資本主義の危機に備える保険、マネー資本主義のバックアップとなるサブシステムとして提唱しています。
里山資本主義の先進国としてオーストリアの例を挙げていますが、オーストリア林業を支える最新の機械は、まさしくマネー資本主義の中核たる重工業の産物です。

まじめに勉強して大学に入り、一生懸命就職活動をしても内定はほとんど得られず、やっと就職しても長時間労働と期待した程ではない報酬。競争至上主義の「プロジェクトX」的なマッチョな資本主義に疑問を感じ、里山という名の新天地で生き生きと働く人たち。しかし、本書で採り上げられる里山暮らしの実践者たちもまた「プロジェクトX」的な一握りの成功例ではないかと思います。
都会の暮らしに夢破れて故郷に帰ってきたけれど、やはり満足な仕事は見つからなかった、田舎の人間関係が息苦しくて引きこもってしまった…なんて人もいるのではないでしょうか。

大物になった気分で「支援金を払ってやった」
これが本書で最も気に入った言葉です。
里山暮らしはできない(するつもりもない)けれど、里山の生産物を消費することで里山資本主義に参加する、これでいいんだと思います。1億2千万人がみな里山で自給自足を始めたら、日本列島はたちまちハゲ山と化してしまうでしょう。豊かな里山暮らしは一種の贅沢なのかもしれません。

(満足度 ★★★★)

さて、久しぶりに記事を書いてみる気になったのは、本書に触発されて、またしても「しょうもない」政策を思いついたからです(笑)。
日本経済停滞の要因として、本書でも高齢者の資産が若い世代に回らないことを挙げています。
世代間格差は深刻な問題ですが、若者の投票率は低く高齢者の投票率は高いので、社会保障費の削減のような高齢者に不利益となる政策は採用されにくい状況にあります。
そこで思いついた暴論。

年金受給開始=選挙権停止

現役を引退して国に養ってもらう方は、政策決定からも引退していただきましょう。
逆に選挙権年齢は引き下げて16歳以上(義務教育修了者)で良いと思います。既に働いて納税している人もいますし、学校で政治の基礎は履修しているのですから。
バカな若者に政治は任せられないというなら、高齢者は勉強して若者に対する啓蒙活動をすればいいのです。ボケ防止にもなりますね(笑)。
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月01日

ネットワークは一般意志の夢を見るか

筆者は夢を語ろうと思う。それは未来社会についての夢だ。
(東浩紀『一般意志2.0』第一章)

新年の幕開けにふさわしい口上から始まるこの一冊から、今年の交遊を始めましょう。



18世紀フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーは、人民主権を唱えてフランス革命に大きな影響を与えました。ルソーは個人の自由を賞揚した一方で、全体主義を肯定しかねないとの批判も受けています。彼の『社会契約論』によると、個人(特殊意志)は全体(一般意志)に絶対服従すべきであると読めるのです。この大いなる矛盾を、どう解釈すれば良いのでしょうか。
ルソーのいう一般意志は、民意や世論と似ているようで実は違います。一般意志とは、単なる大衆の意見の総和ではありません。ルソーはそれを全体意志と呼んで区別しています。一般意志とは「つねに正しく、つねに公共の利益に向かう」ものなのです。
また、一般意志は統治機構(政府)そのものではありません。政府は一般意志の代行機関に過ぎず、その担い手は王であっても貴族であっても構いません。ルソーは代議制(間接民主制)を否定したことでも知られています。

一般意志も全体意志も個人の私的な利害(特殊意志)の集合ですが、前者はつねに正しいのに対し、後者はしばしば誤りを犯します。それでは一般意志とは、空疎な理念でしかないのでしょうか。
東浩紀は一般意志とは数学的存在であり、たとえ共同体の成員が一言も交わさなくとも存在するものだとします。そしてグーグルに代表される現代の情報テクノロジーによって、共同体の無意識である一般意志をデータベース化できるというのです。こうしてアップデートされた一般意志を、著者は「一般意志2.0」と呼んでいます。
しかし著者が構想するのは、大衆の欲望をそのまま反映した直接民主制ではありません。可視化された「一般意志2.0」は、選良の暴走に対する抑制力として働くとします。選良すなわち国会議員は存在するわけです。本書の主題からは逸脱しますが、著者が日本の選挙制度をどう考えているのか気になります。

本書はルソーの一般意志を文字通り(ベタに)読めば、このような解釈が可能だというものです。もちろんルソーの真意は、本人に聞いてみなければ分かりません。しかし社会思想家でありながら、ロマン主義の文学者でもあったルソーです。こういう解釈はありだろうと非常に楽しく読ませてもらいました。
ただし本書が掲げる「民主主義2.0」に対して、最後まで消せない疑念が残りました。それは「一般意志2.0」のアーキテクチャに、設計者のバイアスが入り込む余地はないのかというものです。例えば「議員定数削減」が禁止ワードに設定されていたら、大衆の大多数がそれを望んでいても一般意志として吸い上げられることはないでしょう。

とはいえ、夢を語ることは大事です。
政治家はもっと夢を語るべきだと思います。実現可能かどうかはひとまず措いて。
日本には実務部隊として優秀な官僚組織があるわけですから。

(12月29日読了)★★★★
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 15:37| Comment(29) | TrackBack(0) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月13日

もし不純なリバタリアンがサンデルの『Justice』を読んだら

昨年、名門ハーバード大学で史上最多の履修者数を誇るマイケル・サンデルの政治哲学講義「Justice」が、NHK教育テレビで『ハーバード白熱教室』として放映され、彼の著書『これからの正義の話をしよう』はベストセラーとなりました。
教授が一方的に講釈を垂れるのではなく、学生が積極的に自らの意見を述べて参加するのが白熱教室の魅力ですが、日本の大学に議論する場がないわけではありません。ただ、サンデル教授の「君、名前は?」には痺れました。あれは上手いですね。



ベストセラーには手を出すまいと思いつつも、やはり買ってしまいました(笑)
売れているだけあって、読みやすい本です。ジェレミー・ベンサムの功利主義、イマヌエル・カントの定言命法、アリストテレスの目的因(テロス)などが、現代社会での実例を挙げながら解りやすく紹介されています。数千年の哲学史をファンタジーの手法で紐解いたヨースタイン・ゴルデルの『ソフィーの世界』が思い出されます。本書で一番難解なのは、帯に書かれた宮台真司の推薦文でしょう(笑)
サンデルはコミュニタリアンであり、最大多数の幸福を追求する功利主義や、個人の自由な選択を尊重するリバタリアニズムを批判します。サンデルの支持する正義とは、美徳を涵養し共通善について判断することです。では「共通善」とは何なのかとなると、残念ながら本書から具体的な回答は得られません…
また、サンデルが言及するコミュニティへの連帯や責務には、アメリカの「テロとの戦い」を正当化するための危うさが感じられることも付け加えておきます。

自己決定を尊重するリバタリアニズムに共感する私には、自分の身体や人格の所有者は自分自身ではないとするサンデルの主張は、到底受け容れられません。他人の自由を侵害しない範囲で個人の選択の自由を最大化すべしとするリバタリアニズムは、自殺をも愚行権として認めます。人間は社会的生物であり、共同体と不可分には生きていけません。だからこそ自己の身体と精神は、残された「自由の最後の砦」なのです。
私は個人の心情・信条としてはリバタリアンですが、現実の社会制度としては富の再分配は必要だと考えます。市場における勝者は敗者を踏み台にして利益を得ているのであり、格差が拡大し過ぎては市場から競争する活力が失われる可能性もあります。リバタリアニズムとは、必ずしもアナーキズムと同義ではないのです。国家も法律も全く不要だと考えるリバタリアンは、ごく少数でしょう。

リバタリアンが尊重する「自由な個人」なんて、近代社会が生んだ妄想に過ぎないのかもしれません。同様にコミュニタリアンの掲げる「共通善」も、全人類が共有しうる普遍的なものとは限りません。
現代社会は世界各国が貿易や情報ネットワークで密接につながり、科学技術は脳死からの臓器移植や代理母出産をも可能としました。複雑に利害が絡み合った多種多様な「善」を調整するのが、市場であったり、法廷であったり、伝統的な集合知であったりするわけです。アテネの市民社会のことだけを考えていれば良かったアリストテレスの時代とは違います。
人間には自由意志があり、有史以来、自然界にはなかったモノや制度を生み出してきました。野生動物のように、遺伝子にプログラミングされた本能と自然界のルールという「共通善」に従って生きていけば良いだけなら、何の問題もありません。動物の世界だって、そう単純ではないかもしれませんが(笑)

(5月4日読了)★★★★
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2011年05月01日

クルマがわかれば世界がわかる

管理人の座右の銘(のひとつ)は「クルマがわかれば世界がわかる」であります。
クルマとは、単なる移動の手段や趣味の一ジャンルに留まりません。
自動車産業の動向は、世界経済を大きく左右します。文明社会の原動力である自動車は、環境・エネルギー問題とも密接です。
デザインは消費者が自動車を選ぶ際の重要な要素であり、一台のクルマの造形には生産国の歴史や文化が色濃く反映されています。また、F1やWRCなどのモータースポーツには根強い人気があります。
クルマについて知ること考えることは、政治・経済・社会・科学・芸術・スポーツなど幅広い分野の知に目を向けるきっかけとなるのです。

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そんな私の主張に同意するかのような一冊が出ました。
1945年から2010年までの日本の現代史を、毎年3ページずつ、その年を代表するクルマとともに振り返ります。
戦後の復興と高度経済成長とともに発展した日本の自動車産業。70年代にはオイルショックと排気ガス規制という逆風に見舞われるものの、80年代には世界一の自動車生産国となり、性能面でも欧米の名車と渡り合える車種も現れました。バブル崩壊後は合理化と世界的な自動車メーカー再編の嵐が吹き荒れ、21世紀に入った現在、地球環境を考慮した持続可能なモビリティ社会の構築が求められています。

本文は300ページほどですが、当初の原稿は3倍もの分量があったそうです。詳細に論じるクルマが1年に1車種だけでは、ちょっとボリューム不足。特に1989年〜90年は、日本車が世界レベルに到達したエポックメイキングな年ですから、特別扱いしても良かったような…
ちなみに1989年はGT-Rが復活した8代目スカイラインに、デザインの評価が高い4代目フェアレディZ、世界の高級車市場に打って出た初代セルシオとインフィニティQ45、世界で最も売れたスポーツカーとしてギネスブックに認定された初代ロードスター、今日のスバルの礎を築いた初代レガシィなどがデビューしています。
1990年には本格スポーツカーNSX、FF車の走りを極めた初代プリメーラ、革新的なレイアウトのミニバン・初代エスティマが登場しました。日本カー・オブ・ザ・イヤーは初代ディアマンテが受賞、税制改正によって3ナンバー車が普及したのもこの年でした。
クルマの資料としては物足りませんが、戦後日本の事件や世相・流行を振り返るのには便利な一冊です。

(3月21日読了)★★★
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月30日

縄文の種

小さい頃からずっと思ってきたこと。
それは「農業の担い手は農家でなくてもいい」。

農家は後継者不足。爺ちゃん婆ちゃん母ちゃんの「三ちゃん農業」。
戸数は年々減少し、兼業農家の割合が増えています。
農家一戸あたりの耕地面積は狭く、高コスト。
兼業農家であっても、高価な農機具は自前で揃えます。
みんな休日に農作業をやるから、機械の貸し借りはできません。
農作業に手間隙を掛けられないと、農薬や化学肥料に頼ります。
農薬は害虫だけでなく、天敵である益虫も殺してしまいます。
農薬を撒く人自身の健康や、食品の残留農薬も心配です。

だったら農業は、農家ではなく企業がやればいい。
企業が農場を経営し、サラリーマンである従業員が農作業をする。
そうすれば後継者問題はなくなるし、農家の生まれでなくても農業ができます。
農業を大規模化すれば低コスト化・省エネルギー化が可能になり、農薬の使用も削減。
資本主義の論理を持ち込むことで、かえって環境にやさしい農業を実現するのです。
そもそも農業を始めたことが、人類による環境破壊の始まりでした。
人類の営為である文化(culture)の語源は、耕すこと。いわば農業は原罪です。
人間は都市に住み、農業は効率的に行い、あとは自然の生態系に戻しましょう。

日本は貿易立国であり、輸出だけでなく輸入することも大事な国際貢献です。
ただし、貿易は輸送に余分なエネルギーを消費します(フードマイレージ)。
食料の輸入は水資源の輸入であるとの指摘もあります(バーチャルウォーター)。
では、問います。
日本が輸出した太陽電池で、他国がCO2排出を削減しました。
太陽電池の製造過程で排出されるCO2は、日本が肩代わりしたことになります。
こんなのバカバカしいから、日本は工業製品の輸出をやめるべきでしょうか。
農産物であれ工業製品であれ、最も少ないエネルギーで生産できる国で作る。
それが限りある地球の資源の有効ではありませんか。

食料自給率(特にカロリーベースの自給率)なんて、どうでもいい数値です。
食料が安全に安定的に供給されるなら、国産でも輸入でも構いません。
世界の農業国は、食料を輸出したがっています。
それでも万が一に備えて、コメくらいは自給を維持しても良いでしょう。
私は、日本から農業がなくなっていいとは思いませんから。
日本の農業は生き残って欲しいし、また生き残っていけると思っています。
農業の自由化は、日本の農作物を輸出するチャンスでもあります。

消費税が10%になっても、食料品を非課税にする必要はありません。
農業の保護をやめれば、食料価格は下げられるからです。
(そもそも複数の税率があること自体が無駄な行政コストを生みます)
農林水産省の廃止こそ、最強の景気対策ではないでしょうか。
日本の農業を強化しても、政府の保護なくしては輸入作物に勝てないかもしれません。
その場合は、専業農家に限って所得補償をしても良いでしょう。

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日本の農業は、過剰な保護を止めて世界に市場を開放し、企業の参入による大規模化を促進して、徹底的に自由化・効率化すべきです。
しかし農業の役割は、食料生産だけではありません。水田には水資源の涵養、洪水の防止といった、経済的な指標では計れない機能があります。日本の風土を育んできた昔ながらの田園風景や、里山を守るべきだとの意見もあるでしょう。
そこでアイデアがあります。機械や農薬や化学肥料を使わず、里地里山を保全し、伝統的な農村社会の民俗を継承する農家を、農業としてではなく重要無形文化財として保護すれば良いのです。
高付加価値な作物を少量生産するカリスマ農家は、食育やグリーンツーリズムの担い手ともなるでしょう。税金を投入して保護しなくても、十分に競争力があるかもしれません。

例えば、こんな農家。
平家落人伝説が残る、宮崎県東臼杵郡椎葉村。ここでは焼畑農耕が受け継がれ、縄文時代から栽培されているという在来種のソバの種を守り続けています。焼畑産のソバは粘りが強く、つなぎを必要としません。しかし値段が高く、収穫量も限られています。
椎葉村には「民俗学発祥の地」の碑が建っています。法制局参事官だった柳田國男は、有名な『遠野物語』を著す前年に『後狩詞記』(のちのかりのことばのき)で、椎葉村の焼畑について記しています。これが日本最初の民俗学文献です。椎葉村にユートピアを見た柳田ですが、のちに焼畑は自然の略奪であるとの批判的な立場に転じました。
アマゾンの熱帯雨林などで森林破壊の元凶とされる焼畑ですが、本来は自然のサイクルに則った持続可能な農業です。椎葉村では、山に火を入れる前に生き物たちに避難を促す祝詞を唱えます。
豊かな山の恵みと、それを守り続けた椎葉村の人々。日本には、まだこんな素晴らしい場所があったのかと思うと胸が熱くなります。

(3月20日読了)★★★★★

【関連サイト】
椎葉村ホームページ
ラベル:農業
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 18:50| Comment(0) | TrackBack(1) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月13日

脳ドーピングの時代

動物実験によって驚異的な知能を獲得した、ネズミのアルジャーノン。知能に障害をもつ青年チャーリィは、この脳手術の被験者となることで、みるみる知能が向上します。
しかし彼は、これまで自分が周囲の人々から受けてきた仕打ちを知り、手術によって得られた知能はやがて失われることを悟るのでした。
ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』中編1959年、長編1966年発表。


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受験シーズン真っ盛り。
スポーツの世界では、記録向上を狙って筋肉増強剤や興奮剤を用いるドーピングが禁止されています。では、試験の前に薬物を服用して集中力を高めたら、それは脳ドーピングと呼べるのではないでしょうか。

脳死は、果たしてヒトの死なのか。脳をスキャンして思考を解読できるようになったら、私たちのプライバシーは守られるのか。エンハンスメント(病気の治療のために開発された技術や医薬品)によって、知能を向上させることは許されるのか…
本書は最新の脳科学の動向を踏まえた、ニューロエシックス(脳神経倫理学)の入門書です。問題提起の書という感じで、正直言ってエンターテイメント性は皆無ですが、脳科学に関心のある読者なら、なにかしら興味を引かれる話題があるかと思います。

エンターテイメント性を求めるなら、マイケル・ガザニガ『脳の中の倫理』や、V.S.ラマチャンドラン『脳の中の幽霊』『脳の中の幽霊、ふたたび』が面白いですね。
ガザニガやラマチャンドランの議論は本書でも採り上げられており、本書の内容を理解するためには、彼らの著書を先に読んでおく必要があります。

(1月27日読了)★★★★

【不純文学交遊録・過去記事】
マイ脳リティ・リポート
ないものがあり、あるものがない。
ラベル:生命倫理
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月19日

偽善者になろう!



テレビ、新聞、インターネット…世の中は情報で溢れかえっています。しかし情報は、純粋に公平中立な立場から発信されているわけではありません。情報は人間が発信するものであり、そこには発信した人間の好みや人柄が反映されています。
かといって、いつも世の中を疑いの目で見ていたら疲れてしまいますね。

13歳からの反社会学

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世の中には2種類のバカがいる…データしか見ないバカと、データを全く見ないバカ。『反社会学』シリーズでおなじみ、イタリア生まれで千葉県在住のパオロ・マッツアリーノさんが、バカにならないための世の中の見方を、中学生にもわかりやすく書いてくれました。
とりわけ本書は、図書館の使い方に力を入れています。わからないことがあればインターネットで検索して一発で答えが探せる時代ですが、いまの小中学生には是非とも本を読んで調べる面白さを知ってもらいたいですね。回り道をすることで、意外な知識が得られるわけですから。

バカは極論が大好きです。暴力的に環境保護や動物愛護を訴えるエコ強行派に、あらゆる環境問題は陰謀だというエコ否定派。自分が絶対に正しいという人が、一番のウソつきです。
オトナになることは中途半端に正しい現実と正面から向き合うことであり、就職することはどこかの利権に与することに他なりません。
中途半端な正義や気まぐれな善行であっても、どこかで誰かの役に立つなら、何もしないよりずっといい。マッツァリーノさんは言います。偽善者になれ、愛より偽善、論理より偽善。

第一章の「お金を拾って暮らせるか」は、考えもしてみなかったテーマだけに、非常に面白かったです。
欄外では、パオロさんの弟でフィレンツェ在住の家具職人・ジャンニさんが、本文を理解するのに役立つ情報を140文字以内でつぶやいています。

(10月13日読了)★★★★

【不純文学交遊録・過去記事】
衝(笑)撃、ふたたび!
衝(笑)撃の社会学
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 20:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月05日

キョーサン主義も商品だ

20世紀の終わりに社会主義国家が次々と倒れて、東西冷戦が終結。
資本主義か社会主義かという大きな対立がなくなって、これからはリベラルな民主主義をベースにした資本主義体制しかありえない、これでもう歴史は終わったという人まで現れた。

ポストモダンの共産主義

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ところが2001年の9.11テロで自由の国だったはずのアメリカは監視社会となり、リベラルな民主主義は崩壊。
さらには2008年の世界金融危機でグローバルな資本主義もダメになり、大損した銀行や証券会社を税金で救済しようっていうんだから、さあ大変。そういうのは自己責任で放っておくのが、資本主義のお約束じゃなかったっけ。
というわけで、資本主義は笑劇的な失敗を繰り返している、いまこそ共産主義の出番だぜ、と鼻息荒いのがスラヴォイ・ジジェクっていうスロヴェニア(旧ユーゴスラビア)出身のオジサン。「資本主義、お前は既に死んでいる!」って感じの皮肉たっぷりなツッコミは結構面白い。

ではジジェクさん。アンタのおっしゃるコミュニズムって、どんな社会なんだろう。
税金は高いの?
失業や貧困はないの?
思想言論の自由はあるの?
エネルギー効率はどうなの?
な〜んにも答えていない。問題提起としてはいいんだけど、解答からは逃げている。

そりゃあ、確かに資本主義は完全な制度ではない。
景気が悪くなれば失業者が出るし、経済はグローバルだと言いながら自国の産業は保護する。資本主義には矛盾がいっぱい。
でも、そんなことキョーサン主義者に指摘されなくたって判る。

コミュニズム思想だって、資本主義経済における商品だと思うわけ。
ジジェクさん、アンタの本って結構売れてるんでしょ、資本主義のおかげで。
リベラルな資本主義社会では、どんなに体制批判的なことを言ったり書いたりしても、収容所へ引っ張られる心配はないから安心だよね。

私だって、リベラルな資本主義が人類を幸福にする唯一絶対の解答だとは思わないし、資本主義に代わるユートピアを妄想するのは好きですけどね。

(8月22日読了)★★★

【不純文学交遊録・過去記事】
あかきゆめみし
マルクスさんではありません
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 19:05| Comment(8) | TrackBack(0) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月13日

やりたいことが、なくてもいい。

クルマを買わない、旅行に行かない、出世したくない…近年、欲望を喪失した草食系の若者が増えているといいます。
「夢を持て」「個性的な人間になれ」「自分のやりたいことを仕事にしろ」と教えられても、人生なかなか思うようにはいきません。
学校を卒業してもやりたいことが見つからず、アルバイトをしながら自分探しをしたところで、結局は天職にめぐり会えずに高齢フリーターとなってしまった人もいるでしょう。一種の強迫観念ともいえます。
やりたいことがないことは、そんなに悪いことなのでしょうか?



利益を出すことが目的ではなく、社会を変えることを仕事にする人を、社会起業家(ソーシャル・アントレプレナー)と呼びます。

著者・山本繁はNPO「コトバノアトリエ」代表。学生時代に不動産情報サイトを立ち上げたのですが、自分のやりたいことではなかったと気付きます。
自分のなかにニーズがないのなら、他人のニーズのために生きよう…やりたいことがある人の夢を手助けする、彼の活動が始まりました。
◇ひきこもりやニートの作家デビューを支援する「神保町小説アカデミー」
◇ニートのためのインターネットラジオ番組「オールニートニッポン」
◇地方から上京した漫画家志望の若者に住居を提供する「トキワ荘プロジェクト」
3度目の挑戦である「トキワ荘プロジェクト」で、事業はようやく黒字化しました。これは社会貢献というよりは、ニッチな不動産業という感じがします。だからこそビジネスとして成り立ったのでしょう。

国・地方自治体の財政状況は厳しく、医療・福祉・教育などの公共サービスの低下が危ぶまれます。これから先、小さな政府になってゆく日本では、社会企業家の役割が重要であると著者は言います。

(5月24日読了)★★★★


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