2006年09月23日

これはオレのモンだ!

2006年9月20日、自由民主党の新しい総裁に安倍晋三官房長官が選出されました。
小泉純一郎内閣は、郵政や道路公団の民営化などの「聖域なき構造改革」を推し進めましたが、一方で社会格差が拡がったとの批判も受けました。安倍新総裁は改革路線を引き継ぎつつも、改革で痛みを被った人々の「再チャレンジ支援」を掲げています。

市場経済においては、人々が財やサービスを自由に交換し、神の見えざる手によって丸くおさまる…ことになっています。
しかしながら、実際には財は万民に平等に分配されず、自由競争のもとで勝ち組と負け組み、持てる者と持たざる者とが生まれています。

それでは、所有するとは一体何なのでしょうか?
原始時代、誰かが「これはオレのモンだ!」って叫んだときから所有の概念が生まれたのでしょうか?
公平な市場、公平な分配って、有りうるのでしょうか?
…なんて、取りとめのないことを考えるのに、最適なお供はこの本でしょう。


所有と国家のゆくえ



稲葉 振一郎著 / 立岩 真也著



稲葉振一郎立岩信也、両者とも市場原理の矛盾を指摘しつつも、市場そのものは否定していません。

立岩は、分配する最小国家を唱えます。最小国家というと、普通は「国家は治安の維持に専念し、あとは市場原理に任せるべきだ」との考え方が思い浮かびます。立岩の考える最小国家は、財の分配のみに専念し、それ以外の余計なことはしない、経済成長も目指しません。しかも分配の範囲は一国の範囲を越え、世界を想定しています。
私は立岩の思想に、従来の社会主義国家とも福祉国家とも違う、なんとなく静かなユートピア(?)を感じました。

一方の稲葉は、自らの思想を、資本主義への抵抗を正当化しつつ、現行の資本主義を基本的には肯定するものとしています。
経済成長は再分配するパイを大きくするために必要であり、経済成長の環境負荷についても、技術革新なくして環境問題の改善はありえないとします。そして社会主義的・福祉国家的な考え方は、資本主義(顕教)を補完する密教であると。

書店でのトークライブが基になっているので、内容のわりには読み易いのですが、抽象的なテーマだけに「これだ!」という結論が導かれているわけではありません。
それでも、所有とは市場とは国家とは何なのか、秋の夜長にじっくりと考えてみるには、いいヒントが溢れています。

(9月17日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】
ポストモダン再考
マルクスさんではありません


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2006年08月27日

日本のメディアは“杉林”

NHK番組改変問題、フジテレビ買収騒動、ファイル交換ソフトウィニーによる相次ぐ情報流出…テレビとインターネットをめぐる数々の事件の裏側には、一体なにが潜んでいるのでしょうか…?
ビデオ・ニュース・ドットコム宮台真司神保哲生が、ネット時代の目利きである東浩紀水越伸西垣通池田信夫をゲストに迎えて、討論を繰り広げます。



ネット社会の未来像

インターネットの普及は、膨大な情報のなかから欲しい情報を誰もが簡単に入手でき、また誰でも自由に情報を発信できる、革命的な事態をもたらしました。
そうした利便性の一方、情報技術の革新は監視社会化を推し進めるとの声もあります。

日本のマスメディアは杉林…そう表現するのは水越伸です。
NHK、5大紙とそれに対応する民放5局(朝日+テレ朝、毎日+TBS、読売+日テレ、産経+フジ、日経+テレビ東京)、さらに広告代理店(電通、博報堂)というメディアの生態系は、国策で作られた人工の杉林のようだといいます。杉林には下草も生えず(新規参入メディアが育たない)、時には花粉症のような害ももたらす、と。

池田信夫は、ファイル交換ソフトウィニーの仕組みを判りやすく解説しています。要はサーバーを介さずに、映像や音楽などが欲しい人のパソコンと持っている人のパソコンを、直結しちゃうんですね(初めて知りました)。
ウィニー騒動では、違法に映画やゲームを頒布した者ばかりでなく、ウィニー開発者が著作権幇助で逮捕されました。また、事件を捜査していた京都府警のパソコンから、ウィニーによって捜査情報が流出するという皮肉な事態も起きました。
ネット時代の著作権はどうあるべきか、技術そのものが罪に問われることは妥当なのか、考えさせられる事件です。

ネット社会の大きな課題(だと思う)のは、ふたつ。
ひとつは、ネット時代のビジネスモデル。テレビは広告代理店と結びつき、CM枠を売ることで高収入を得るというビジネスモデルで成り立っています。それではインターネットでオンデマンド放送となった場合、従来の番組の合い間にCMを流すというビジネスモデルは、果たして成立するのでしょうか。
もうひとつは、ネット時代の権力の在り方です。個人的な快不快のみを行動規範とする動物化した者たちは、アーキテクチュラルな権力(建築的な=東浩紀のいう環境管理型権力)で管理されます。そして、決して裕福ではないが社会に対して具体的な不満を抱いていない「低IQ・非不満層」が、政治家に潜在的な不安を煽られる「不安のポピュリズム」で動員される危険性を指摘しています。
宮台真司はエリート主義者(?)ですから、民草を見下した発言が多いです(笑)。

ネット社会は自由な開かれた社会で、誰もが表現者、誰もが起業家になれるという明るい未来よりは、より監視がすすみ、より均質化されるといった負の側面が露呈されました。しかし西垣通の言うように、IT・インターネットは多大な可能性をもった21世紀の鍵です。
皆さんのブログから(このブログからも?)、21世紀の新しいコミュニティやビジネスモデルが生まれるかもしれません。

(8月25日読了)

<<不純文學交遊録・過去記事>>
2011年、テレビをまだ見てますか
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2006年07月10日

まだ何かあるのだろうか…

東京の地下には、知られざる空間が広がっている。
地下鉄網は戦前すでに整備されており、現在の地下鉄や地下施設は戦前からあるものを再利用しただけである。その事実をなぜか政府や都は、ひた隠しにする…
秋庭俊の帝都東京シリーズ、またまた出てしまいました。



池袋サンシャインシティの地下駐車場のさらに下には、公式には存在しないことになっている、豊島変電所が存在する。
高輪の高野山東京別院地下にも、高輪変電所が存在する。こちらは別に秘密ではないが、お寺の地下をどうやって掘ったのか…?
豊島区役所の冷暖房は、500メートル離れたサンシャインシティの冷暖房施設でまかなっている。わざわざ500メートルもの洞道を掘ったのか、もともとトンネルがあったのか…?
新宿プリンスホテルの地下駐車場は、アドホック地下駐車場とつながっている。
…などなど、奇妙な帝都・東京の地下事情。
複雑怪奇な東京地下鉄誕生の歴史を、解き明かしてゆくのですが、その経緯には軍部の思惑が絡んでいるというものです。
最新版の結論は、東京は五角形の要塞都市である!

秋庭は国民の税金が、公に出来ないものに使われていることを批判しています。
でも、私はむしろ安心しました。おそらく都心の地下には、有事の際に要人がスムーズに移動するための道路があるのでしょう(あって欲しい)。万が一のテロに備えるには、それを明かすことはできません。日本が普通の国ならば。

(7月10日読了)





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2006年04月29日

ポストモダン再考

小説、絵画、建築、思想・・・ポストモダンという言葉は幅広いジャンルで使われていますが、改めてなんだろうと考えてみることがあります。
また、ポストモダンというからにはモダンもあるわけでして、モダン=近代とはなんだろうと、またまた頭を悩ませるのです。



非常に乱暴に本書を要約しますと、モダン=近代とは、大きな物語が信じられていた時代のことです。近代には、民主政治だとか経済成長だとか科学技術の進歩だとか、人類共通の大きな目標がありました。それらが失われた時代がポストモダンです。
ポストモダンを考える素材として、東浩紀の『 動物化するポストモダン』を採り上げています。ポストモダンを、大きな物語の時代に対してデータベースの時代と呼んで、大きな話題になりました。現代は大きな物語が消滅し、あらゆるモノゴトが等価なデータベースになってしまった・・・なるほど、判らないことはないです。
東はまた、データベース=萌え要素と読み解き、オタク的メンタリティーを肯定する論者でもあります。
稲葉振一郎は、東の問題提起を重要なものとしながらも、ポストモダンの時代を生きる処方箋としてはどうかと。むしろ大塚英志のように近代の可能性を考え直そうという立場であると、巻末で表明しています。ただし、これまでのような万人共通の夢の近代ではなく、少しクールダウンした近代だそうです。この続きは「次の巻で」・・・だとか。

本書では全く触れられていませんが、私はモダン=近代を象徴する人物は、ヘンリー・フォードであると思います。20世紀文明を代表するモノである自動車を普及させたことはもちろんですが、流れ作業による大量生産を実現しました(大量消費・大量廃棄のはじまりでもある)。それによって人は、材料から完成品までを手掛ける職人から、分業による単純作業を繰り返す、取り替え可能な労働者となったのです。
近代の権力は、工場労働に代表される規律訓練型ですが、ポストモダンな権力は環境管理型(稲葉はテーマパーク型と呼ぶ)であるといいます。マクドナルドの椅子は座面が堅く、長時間座るのに適さないため、客の回転が速いのだとか。誰かが指示したわけでないのに、経営者の意図に自然と従ってしまうのです。
私たちは知らないうちに、見えざる力に操られているのかも(?)しれません。

(4月24日読了)

【不純文學交遊録・過去記事】
マルクスさんではありません
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2006年03月21日

UFOは、不安な空を飛ぶ。

「空飛ぶ円盤」が最初に目撃されたのは、1947年。アメリカのケネス・アーノルドという人が飛行機を操縦中に、9つに連なるブーメラン型の飛行物体に遭遇しました。
以後、未確認飛行物体=UFOの目撃談が全米、さらには全世界で相次ぐようになります。


UFOの目撃談は、歳月とともに進化します。
当初、謎の飛行物体はアメリカまたはソビエトの秘密兵器だと考えられました。
それが宇宙からやってきた異星人の乗り物だと言われるようになります。そして米政府は、異星人の存在を知りながら世間に対しては隠蔽しているのだと。
さらに、異星人は家畜を殺戮したり、人間を誘拐して生体実験を行っているとされ、米軍はUFOの技術を応用した新兵器の実験を繰り返しているという、陰謀説に発展しました。
また異星人の姿も、当初は有名なコンタクティ・アダムスキーが出会ったという金髪の白人から、小柄で灰色の肌をもつグレイと呼ばれるものに変貌していきます。
こうした壮大な都市伝説=UFO神話が誕生し、進化していった過程には、明らかな流行があるというのが本書のテーマです。

UFOが当初、未知の兵器とされたのは、明らかに米ソ冷戦を背景としています。
現在、アーノルドが目撃した謎の飛行物体の正体は、当時アメリカで極秘に研究されていた軍事用の気球だと考えられています。また、アーノルド事件の二週間後に発生した、有名なロズウェル事件で回収された墜落物も同様です。
UFOの着陸痕からは強力な放射能が検出されるといった話も、核の脅威から生まれたものでしょう。
その後に生まれた、異星人による誘拐や生体実験の話は、バイオテクノロジーの発展に対する不安だと考えられます。

1995年に公開された捏造映像「宇宙人解剖フィルム」は、半世紀に及ぶUFO神話の幕引きとなりました。UFOに代わるように現れたのは、超高速で空中を飛行するUMA(未確認生物)、スカイフィッシュです。スカイフィッシュは、ビデオ映像のなかだけに生息します。
UFO神話の誕生と進化は、アメリカという大国の不安を背景にしていました。
どうやら21世紀の不安は、電子テクノロジーが蔓延する社会にあるようです。
(3月20日読了)
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2006年03月20日

2011年、テレビをまだ見てますか?

日本の証券市場に大きな衝撃を与えた、ライブドア事件。昨年は、ライブドアがフジテレビに仕掛けた買収劇が大きな話題となりました。
わが国の、最後にして最大の護送船団業界がテレビ局です。

電波利権



池田 信夫著



電波は、政府によって配分されています。電波を最も贅沢に割り当てられているのは、テレビ局です。その隙間を縫うように、何千万本もの携帯電話がひしめいています。
電波利用全体に占める携帯電話の割合は11%。しかし、電波利用料の93%は携帯電話ユーザーが支払っています。放送の負担はわずか1%です。携帯電話ユーザーが負担した電波利用料は、大部分が地上デジタル放送に使われます。

電波が利権になることを最初に見抜いた政治家が、田中角栄でした。日本は世界に例を見ない、テレビ局と新聞社が完全に系列化された国です。さらに在京キー局は、地方民放局を系列化しています。これらを推進したのが田中角栄だったのです。

巨大メディア・NHKの相次ぐ不祥事は、受信料不払い急増を招きました。著者は、現在の義務的な受信料徴収ではなく、有料放送化によるNHK民営化を提案します。民放のようにコマーシャルを入れて無料放送するのではなく、視聴者の自発的な契約による視聴料の支払いです(現在のNHK−BSは、事実上の有料放送といえます)。

インターネット業界が常にテレビ局買収に食指を動かすのは、数十年間蓄積された豊富なコンテンツ(番組)があるからです。しかもそれらは、たった一度放送されたきりで眠っています。躍進するインターネットに対し門戸を閉ざすテレビ局ですが、テレビ局は放送インフラ業ではなく、コンテンツ産業として生き残る道があると思います。

しかし・・・テレビって、見なくなりましたね(笑)
本は、テレビと違って時間と場所に拘束されないのが魅力です。
地上波がデジタル放送に完全移行すると、従来のテレビは受信不能となります(全国で1億台もの粗大ゴミが発生!)。
2011年、あなたはまだテレビを見ていますか?

(3月19日読了)
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2006年02月19日

公正・中立ってなあに?

私が森達也を知ったのは『放送禁止歌』です。この世には放送禁止歌なるものがあり、反体制的とか部落差別問題に抵触する等の理由から放送できないとされていましたが、実際にそれらの歌を放送禁止とする規制や圧力などは存在しなかったことを明らかにしました。


世界と僕たちの、未来のために


森 達也著 / 綿井 健陽〔ほか述〕


森は、オウム真理教を取材した映画『A』および『A2』の監督として知られています。彼はオウムや部落解放同盟にどうやってカメラを入れたのかとよく質問されますが、単に「撮ってもいいですか」と聞いたらすんなりOKが出ただけであり、オウムや解放同盟を、異質なものとして排除したり、端から恐ろしいものと決め付けて取材の対象としない、メディアの事なかれ主義に異を唱えます。
また、メディア(特にテレビ)の公正・中立・客観とは何なのかと、疑問を呈します。森はドキュメンタリー映画を撮っていますが、主観なきドキュメンタリーなどないと言います。ドキュメンタリーは単なる事実の記録ではありません。観測することが観測結果に影響を及ぼすとする量子力学と同じで、カメラを回す行為自体が目の前の事象に対する干渉です。
そんな姿勢で、森は31人と25の対談・鼎談を繰り広げます。
登場するのは、綿井健陽、田原総一朗、大澤真幸・長谷正人、宮崎学・安田好弘、田丸美寿々・島田裕巳、北田暁大、土屋敏男(日本テレビプロデューサー)、水道橋博士(浅草キッド)、是枝裕和、原一男、矢崎泰久、宮沢章夫、伊藤公雄、小室等、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)、斎藤貴男、松本智量、岡田幹治、鵜飼哲、菊田幸一、姜尚中、竹熊健太郎、朴慶南・深津真澄、野中章弘・吉見俊哉、重松清、鴻上尚史。
錚々たるメンバーです。どなたが読んでも、誰か一人は知っている人がいるはず。同じ話題が繰り返し出てきますが、そこは我慢しながら読みましょう(笑)。

森は憲法をテーマとしたシリーズ番組で、第一条=天皇のドキュメンタリーを撮りたいと構想していましたが、テレビ局側の配慮(?)によって企画倒れとなったようです。
(2月19日読了)
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2006年01月09日

波状攻撃三連射!

いま、批評の最先端はどうなっているのか?
ホスト役の東浩紀が弟分(?)鈴木謙介を従えて、宮台真司・北田暁大・大澤真幸という、批評界をリードする3人の社会学者と鼎談を繰り広げます。社会学者がいまを語るということは、そのまま自らの立ち位置を語るということでもあります。



波状言論S改

・宮台真司+鈴木謙介+東浩紀
宮台は、現在最も若年層に影響力のある学者と言えます。
オウム事件や援助交際などサブカルチャーを論じて一躍脚光を浴びた彼が、いま「あえて」天皇や亜細亜主義を掲げて政治にコミットメントするのは、果たして転向なのか?・・・
この鼎談は結果的に宮台真司解体白書となっています。宮台の教え子である鈴木が、終始彼を「先生」と呼んでいるのが印象的でした。

・北田暁大+鈴木謙介+東浩紀
北田・鈴木・東の三人は、いずれも1970年代生まれ。管理人と同世代であります。ですから北田の学生時代の話は、とても興味深く読みました。80年代のニューアカデミズムの残光を、追いかけていたそうです。
中心は「自由」をめぐる議論です。自由主義には、他人に迷惑を掛けない限り何をしても良いとするリバタリアニズムと、公共性も重視するリベラリズムの二種類があります。三人は、情報技術を背景にした監視社会が、リバタリアニズムと親和的であることに危惧を表明しています。実は私、心情的にはリバタリアンなのですが、現実社会の制度としてはリベラリズムであるべきと考えます。
また、ブログについての話題もありますよ。

・大澤真幸+鈴木謙介+東浩紀
大澤は、宮台と並んで名の知れた社会学者で、大学院時代からの同僚であり、友人であり、ライバルともいえます。大澤は、サブカルから政治にシフトした宮台に対し、なんとなく冷淡です。
自由と監視社会の問題についても、リバタリアニズムについて本気で考えたことはないと言い切る、大澤の語り口は淡々としています。

すべての鼎談を通して宮台真司が語られるのは、やはり批評界が未だ彼の一人勝ち状態だからなのでしょう。
(1月9日読了)

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2005年12月10日

衝(笑)撃、ふたたび!

統計やアンケート、日々のニュースなどから新たな社会問題を生み出し続ける、社会学。イタリア生まれで千葉県在住のマッツァリーノさんが、またまた社会学をお笑いのネタにしてしまいました。



反社会学の不埒な研究報告



パオロ・マッツァリーノ著


社会学者の目には、統計という数字の羅列から、なぜか社会問題という見えないものが見えてくるそうです。これはもしかすると、怪奇現象なのかもしれません。
マッツァリーノさんは、同じく統計データから、社会学者が黙して語らない、世の中の衝撃的な(なおかつ笑劇的な)事実を導き出すからです。

「くよくよ」することと「こだわる」ことは同じこと。
シンクタンクのレポートは、実質GDP祭り。
日本人は尊敬されたがっている。
武士道とは、ご都合主義だった。
ビジネス書は、お笑いである。

2005年の笑い納めは、この本で。今回は社会学の枠を超え、国語や歴史や経済までもがネタになっています。
私は「年金改革の最後の切り札」に、最も衝(笑)撃を受けました。

(12月4日読了)
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2005年11月26日

誰もがナショナリスト

誰しもが自分の生まれ育った地には、特別な思い入れがあることでしょう。日本の某ノーベル文学賞作家は「ナショナリズムは諸悪の根源」とのたまったそうですが、ナショナリズムとは何も特殊な主義主張ではなく、人類普遍の思考であります。

★ナショナリズム(愛国心)とパトリオティズム(愛郷心)は正確には違うのですが、ここではパトリオティズムも広義のナショナリズムとしておきます。



自他共に認めるサヨク(?)、島田雅彦のナショナリスト宣言という、意外性に惹かれて読んでみました。
本書を貫くのは、反戦主義と反米主義。島田といえばロシア語学科卒業ですが、その道を選んだのはアメリカン・ポップ・カルチャーへの反発と言いますから、筋金入りの反米主義者のようです。
「腰抜けな」ナショナリストにしては、北朝鮮の金正男が偽造パスポートで入国した時には彼を拉致すべきだったと、意外と強硬な意見も書いています。
自らを生み育んだ国を愛し、その行く末を憂えるのは、健全な態度であると思います。
(11月26日読了)
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 20:59| Comment(0) | TrackBack(1) | 社会・思想交遊会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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