2010年08月29日

またまた古墳と交遊

またまた古墳という言葉に惹かれて、行って参りました。
福井県鯖江市まなべの館(旧称:鯖江市資料館)
企画展「越の弥生王墓」(期間:平成22年8月7日〜31日)

鯖江市には、弥生時代の方形周溝墓が良好に保存された王山古墳群(弥生時代中期〜古墳時代前期)があります。日本海側のコシ(越)・イズモ(出雲)・タニハ(丹波)は、早くから海上交通による交流がありました。企画展では、福井県内で発掘された弥生墳墓の副葬品を展示するとともに、日本海側各地の四隅突出型墳丘墓や台状墓をパネル紹介しています。
首飾りだと考えられていた管玉やガラス玉は、布に縫い付けたり、ヘアバンド状に繋げて、頭飾りにしていた可能性があるそうです。建物や人の姿が描かれた家屋人物獣文鏡も、面白い出土品でした。

常設展も見てきました。
まなべの館の名称は、越前鯖江藩主で幕末の老中、間部詮勝に由来します。
2階には、藩主・間部家に関する「まなべの部屋」、越前吉江藩(現在の鯖江市)生まれとされる近松門左衛門の作品を紹介した「近松の部屋」、一万年以上前に遡る考古資料を展示した「考古学の部屋」があります。最も展示品が充実しているのは「考古学の部屋」ですね。
3階には、鯖江市出身の久里洋二(アニメーション作家)と西山真一(洋画家)のギャラリー。館内のエレベーターの扉にも、久里のカラフルなイラストが描かれています。文系ブロガーにとって久里洋二といえば、雑誌『現代思想』の表紙でおなじみですね。

本日は、貸し切り状態で観覧できました(笑)

【関連サイト】
鯖江市まなべの館
【不純文學交遊録過去記事】
王山古墳群と舟津神社


ラベル:古墳
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2010年08月08日

大陸をみつめた王たち

古墳好きなもので…8月8日、福井市文化財保護センターの企画展「大陸をみつめた王たち」を見に行きました。
同センターが現在地へ移転して初めての企画展で、福井市内で発掘された古墳時代の遺物を展示しています(期間:7月17日〜8月8日)。

展示されているのは、福井市内最大の免鳥長山古墳(帆立貝式古墳)、金製垂飾付耳飾が出土した天神山7号墳(円墳)、小規模ながら副葬品が豊富な花野谷2号墳(前方後円墳/消滅)、公園整備された饅頭山1号墳(円墳)、そして古墳時代の住居跡である河合寄安遺跡からの出土品。
印象的だったのは、花野谷2号墳から出土した大きな勾玉と、鉄剣や鏡(乳文鏡・内行花文鏡)でした。

古墳は、古代のタイムカプセル。古代人が書物のなかだけの存在ではなく、実際にそこで暮らしていた証です。

【不純文學交遊館】
福井市文化財保護センター企画展
ラベル:古墳
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2010年07月26日

アジア恐竜時代の幕開け‐巨大恐竜の進化‐

以前予告しました福井県立恐竜博物館の特別展です。
混雑を避けて平日の午前中に行って参りました。
アジア恐竜時代の幕開け‐巨大恐竜の進化‐
平成22年7月9日〜11月7日
福井県立恐竜博物館

日本および中華人民共和国の竜脚類化石を中心とした展示です。
先にセミナーを聴いていたので、見どころは押さえてあります。
主な展示は、古竜脚類ルーフェンゴサウルスの実物全身骨格と立体的な実物頭骨、竜脚類マメンチサウルスとシュノサウルスの実物頭骨。特に保存状態の良い頭骨は、極めて稀だそうです。同時代の捕食者である獣脚類ヤンチュアノサウルスも、実物全身骨格が展示されています。
複製ではありますが、20世紀初頭に発掘されたエウへロプス、歯が真横に並んだニジェールサウルスの頭骨もあります。フクイティタンをはじめとする、日本産の竜脚類化石も展示。
特別展示室はスペースに限りがあるため、せっかくの実物全身骨格が、重なり合って見づらいのが残念でした。

開館10周年を記念して、常設展示もリニューアル。
リアルに動くティラノサウルスロボットが出現しました。
クリーニング中のカマラサウルスの化石も見ることが出来ます。

【写真】福井県立恐竜博物館特別展
ラベル:恐竜
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2010年07月25日

日本一有名な三姉妹

テレビのアナログ放送停止まで、1年を切りました。テレビはほとんど見ないので関係ありませんが(笑)、来年のNHK大河ドラマは『江‐姫たちの戦国‐』だそうです。
江(ごう)は、戦国一の美女として名高いお市と浅井長政の三女で、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の継室です。法号は崇源院。長男の家光は3代将軍、五女の和子は後水尾天皇の中宮(東福門院)となりました。織田・浅井両家の血を引き、将軍の母にして天皇の祖母でもあるという、稀代のスーパーセレブであります。

お市は織田信長の妹で、近江小谷城主の浅井長政に嫁ぎました。のちに夫・長政と兄・信長は決裂。小谷落城後は、越前北ノ庄城主となった柴田勝家の妻と再婚します。しかし勝家は羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と対立し、夫とともに北ノ庄城で自害しました。遺された茶々・初・江の三姉妹は、父母の仇である秀吉の保護下に置かれることとなります。
長女の茶々は、秀吉の側室となり、淀殿の名で知られています。大坂夏の陣で、息子の秀頼とともに自害。人生で三度もの落城を経験する、波乱の生涯を閉じました。
次女の初は、若狭小浜藩初代藩主である京極高次の正室。京極氏は浅井氏の主家筋にあたり、初と高次はいとこ同士でもあります。豊臣方の姉と徳川方の妹を仲裁すべく、奔走しました。

福井県とゆかりの深い、お市と浅井三姉妹。7月25日、福井県郷土誌懇談会総会記念講演会が、福井県立図書館で開催されました。
『お市と浅井三姉妹の生涯』
太田浩司(滋賀県長浜市長浜城歴史博物館)

お市と長政の婚姻は、正確な時期がわかっていないのですが、永禄10年(1567)〜11年(1568)とする説があります。この頃、お市は21〜22歳。当時としてはかなりの晩婚です。また、兄の信長は既に美濃を平定しており、政略結婚としての重要度も薄れてしまいます。この婚儀は、織田側の一方的な持ち出しなのです。
講師の太田氏は、永禄4年(1561)婚姻説を唱えています。長政は以前、賢政と名乗っていましたが、これは当時の主君である六角義賢の一字を授かったものです。しかし、永禄4年からは長政の名を用いています。これは信長の一字であり、この頃には織田・浅井同盟が成立していたというのです。本日の講演で、最も興味深い部分でした。

太田氏は、戦国史の大家・小和田哲男氏とともに大河ドラマの時代考証に参加しているのですが、自説ではなく小和田説が採用されて非常に残念そうでした。
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2010年07月18日

恐竜博士、来日。

7月18日、福井県立恐竜博物館の博物館セミナーへ行って参りました。
博物館では現在、開館10周年記念特別展「アジア恐竜時代の幕開け−巨大恐竜の進化−」を開催中(11月7日まで)。竜脚類の進化を中心とした展示です。
竜脚類は首と尾の長い巨大恐竜で、俗にカミナリ竜とも呼ばれます。
福井県立恐竜博物館
セミナーの演題も特別展と同じ「アジアの恐竜時代の幕開け」。三畳紀に現れた初期の恐竜である古竜脚類と、ジュラ紀中期から白亜紀にかけて繁栄した竜脚類との違いについて、詳細な解説がなされました。
竜脚類は四足歩行の巨大恐竜ですが、古竜脚類は二足歩行も四足歩行も出来たと考えられています。歯の生え方、上腕骨の長さの比率にも違いがあります。

特別展の見どころは、中華人民共和国でも見ることが出来ないというマメンチサウルスの実物頭骨化石、スウェーデン王国ウプサラ大学所蔵の中国産エウへロプス(一部実物)。
入館無料の第三日曜日とあって館内は混雑していたので、特別展は日を改めてゆっくり見ることにします。
当日は、世界的な恐竜研究者である中国科学院古脊椎動物古人類研究所の董枝明(ドン・チミン)先生が滞在中。たいへん気さくな方で「董先生!」と声を掛けると、ニッコリ笑って握手してくださいました。
ラベル:恐竜
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2010年07月11日

福井県発掘調査報告会

7月11日は第22回参議院議員通常選挙の投票日でありますが、その前に第25回福井県発掘調査報告会(会場:福井県立図書館)へ行って参りました。
平成21年度に発掘調査された遺跡のうち、報告されたのは以下の6遺跡。

小矢戸旗鉾遺跡(大野市)
弥生時代〜中世にかけての堀立柱建物跡。墨書土器、権状錘が出土し、役所の跡と考えられる。中世の層からは将棋の駒が出土。

石盛遺跡(福井市)
南北朝時代、新田義貞・脇屋義助が陣を構えた『太平記』に登場する石丸城の跡。当時の烏帽子が発掘された。旧堀と新堀があり、新堀は戦国時代の遺構。

興道寺廃寺(美浜町)
7〜8世紀の寺院の跡。8世紀に再建、創建時の基壇を削平して整地されている。古墳時代の集落も出土。

特別史跡・一乗谷朝倉氏遺跡(福井市)
戦国大名・朝倉氏の居城として有名。日本のガラス生産の空白期とされてきた、室町時代のガラス工房跡が発掘された。

国史跡・白山平泉寺旧境内(勝山市)
白山三馬場のひとつ。開祖は泰澄。48社36堂6000坊を数える中世の巨大宗教都市だったが、一向一揆との戦いに敗れ、焼失。門・塀を復元する予定。

敦賀町奉行所跡(敦賀市)
江戸時代には奉行所、明治時代には県庁・裁判所があった敦賀の中枢地域。下層からは戦国時代の遺構が見つかり、大谷吉継の敦賀城と考えられる。

出土品の展示もありました。
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2010年05月16日

遺跡をデザインする。

CA320057.JPG

戦国人気は根強いですね。私の住む福井市には、戦国大名・朝倉氏が居を構えた一乗谷朝倉氏遺跡があります。
朝倉氏は、一乗谷に京から多くの文化人を招き入れ、のちに室町幕府15代将軍となる足利義昭(当時は義秋)、織田信長に仕官する前の明智光秀が滞在したことでも知られています。
朝倉義景は織田信長との合戦に敗れ、一乗谷は灰燼に帰しましたが、戦国時代の遺構は地中に残されました。

5月16日、日本最大の中世遺跡である一乗谷朝倉氏遺跡にて、環境デザイナーの近藤公夫・奈良女子大学名誉教授による講演会が開催されました。
近藤さんは、一乗谷朝倉氏遺跡を公園化する基礎計画を立てた方です。これまでに奈良県の平城宮跡や佐賀県の吉野ヶ里遺跡の整備に関わり、現在は北海道の函館五稜郭箱館奉行所復原の整備員会座長を努めています。
演題は「一乗谷朝倉氏遺跡が今日に訴えるもの」。約40年間の遺跡公園整備のあゆみをお話しされました。

質問にも答えてくださいました。
一乗谷朝倉氏遺跡は海外からの評価が高いとの話だったので、日本の戦国時代に対する海外の関心はどのくらいかと尋ねましたが、関心はほとんど無いのだそうです。外国人の日本に対するイメージは「SONYの国」で、以前は未開の国だったと思われており、日本に来て初めて高度な文化遺産があるのを知って驚く。だからこそ、遺跡の価値を広く発信することが重要とのことでした。
一乗谷朝倉氏遺跡には中世の街並みが復元されていますが、朝倉義景館を復元してはどうかとの質問には、手掛かりとなる絵画等が残っていないので、復元は極めて難しいとのこと。また、安易に復元してイメージが固定化されてしまうのは良くない、想像することでロマンがかき立てられるとのご意見でした。

「先生が関わった平城宮跡では大極殿を復元しちゃいましたが、あれってやっぱりダメなんですか?」とツッコミを入れようかと思いましたが、遠慮しました(笑)

一乗谷朝倉氏遺跡資料館(福井県)
一乗谷朝倉氏遺跡(福井市)
(社)朝倉氏遺跡保存協会
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2009年08月24日

若狭国の古墳と交遊

聖徳太子は、日本史上最も有名な人物の一人でありながら、その実像は未だ謎に包まれています。
聖徳太子こと厩戸皇子は実在したが、業績は他人のものであるとする説から、全くの虚構の人物だったとする説まで。その最期は自殺とも、暗殺とも言われています。
太子と最期を共にしたのは、妃の膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)でした。太子とともに磯長陵(大阪府)に葬られています。
膳夫人は、朝廷の食卓を担った膳氏(かしわでうじ)の出身です。福井県若狭町には、若狭国造・膳氏のものと推定される古墳が数多くあります。
若狭国は、朝廷に海産物などの食料を献上した御食国(みけつくに)でした。

以前から若狭国の古墳と交遊しようと思っていたのですが…
8月23日(日)午前10時より、若狭町脇袋の糠塚古墳で現地説明会があるとのことで、この機会に行って参りました。
糠塚古墳は直径30mほどの円墳だと思われていたのですが、このたびの発掘調査で周濠跡が確認され、全長50〜60mの前方後円墳であることが判明しました。前方部は水田の下になっており、まだ発掘されていません。
脇袋には、若狭国最大の前方後円墳である上ノ塚古墳(全長100m)があり、糠塚古墳もまた若狭国の首長クラスの陵墓であると考えられます。
脇袋古墳群の背後には膳部山があり、被葬者を膳氏とする根拠となっています。

発掘の中心となったのは、花園大学(京都府)の高橋克壽准教授。作業服を着た若い人が多いと思っていたら、学生さんたちでした。
考古学の意義は、遺跡の本来の姿を再現することにあるという高橋さん。大型古墳の陪塚に過ぎないとされていた円墳が、首長クラスの前方後円墳となったことで、「1500年ぶりに被葬者の名誉を回復することができた」と満足気に語っていました。

その後は、若狭町歴史文化館を訪問。
文化館とは言っても独立した建物ではなく、町の庁舎の一室です。町内の古墳から発掘された出土品が展示されています。入場無料。
今回、福井市から敦賀市まで北陸自動車道を走行しましたが、30プリウスの高速燃費は25km/L台(モニター表示)でした。

【関連サイト】
福井県若狭町
8月30日放送のETV特集で、脇袋古墳群が採り上げられました。
ETV特集 シリーズ「日本と朝鮮半島2000年」第5回 日本海の道
ラベル:古墳
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2008年08月12日

K/T

地球が誕生して46億年。その間、地球上の生物種の大半が失われる大量絶滅が何度もありました。
なかでも、全生物の90%が失われた2億5000万年前のペルム紀末の大絶滅、恐竜が滅んだ6500万年前の白亜紀末の大絶滅がよく知られています。前者は古生代と中生代、後者は中生代と新生代を隔てる、地球史上の大きな分岐点です。
ペルム紀と三畳紀の境界をP−T境界、白亜紀と第三紀の境界をK−T境界と呼びます。

今日は福井県立恐竜博物館の2008年特別展『絶滅期の恐竜と新時代の生き物たち』を見て参りました。白亜紀末の恐竜たちと、第三紀の哺乳類化石の展示です。
興味深かったのは、多種多様なアンモナイトの化石。大きなものは直径1mもあります。すべてが巻貝の形ではなく、角のように尖った種類やらせん状にねじれた種類もいました。アンモナイトは恐竜とともに絶滅しましたが、アンモナイトに良く似たオウムガイは今日まで生き残っているのが不思議です。何が両者の明暗を分けたのでしょうか?
第三紀の化石でもっともインパクトがあったのは、哺乳類ではなく、体高2mもの巨大な鳥類ディアトリマです。ダチョウのように大地を走り、哺乳類を襲っていました。恐鳥類の名にふさわしい威容です。化石には、骨折が治癒した跡が残っていました。

今回の特別展は撮影禁止でしたので、写真はございません。それ以外の写真は不純文學交遊館・恐竜博物館をご覧ください。

【不純文學交遊録・過去記事】
恐竜はなぜ鳥になった?
スーパーサウルスは存在し得ない?!
スーパーサウルスは存在し得ない?!…U
図鑑の誘惑

福井県立恐竜博物館
ラベル:恐竜
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2008年06月09日

王山古墳群と舟津神社

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古墳と聞いて興奮するわけではありませんが(笑)、2008年6月8日、福井県鯖江市の王山古墳群の整備工事完成を記念した講演を拝聴いたしました。

王山古墳群は鯖江市を代表する史跡で、弥生時代中期から古墳時代中期(1〜5世紀)にかけての墳墓が54基確認されています。とりわけ弥生時代の方形周溝墓が発掘調査された先駆的な事例であり、保存状態も良いことから昭和42年に国の史跡に指定されました。
王山古墳群のある丘陵地の麓には、北陸地方随一の古社である舟津神社があります。舟津神社の祭神は大彦命。第8代孝元天皇の皇子で、第10代崇神天皇の時代に大和朝廷が全国を平定すべく派遣した、四道将軍の一人です。阿倍氏の祖である大彦命を、メスリ山古墳(奈良県桜井市)の被葬者だとする説もあるようです。

舟津神社の宮司でもある橋本政宣・東京大学名誉教授が「古墳と神社」と題して講演。そして昭和40年の発掘調査に携わった椙山林継・國學院大學神道文化学部教授が、当時の貴重な記録を写真を交えて紹介しました。
最後に両氏が、歴史遺産の保存と活用について討議。
椙山氏が「研究者がいくら学術的価値を訴えても歴史遺産は保存されない。保存は地域の住民次第である。地域住民が遺跡の存在を知り、そこを訪れることが何よりも大切だ」と訴えたのが印象的でした。
それを受けて橋本氏は「学校教育は教室のなかだけでなく、もっと野外に出て自然や史跡と触れ合うべき」と述べました。

というわけで、私も身近に残る歴史遺産を全国に発信いたします。
王山古墳群と舟津神社の写真は不純文學交遊界にUPしました。
不純文學交遊館 王山古墳群・舟津神社

古墳と一体化した神社は、実は全国に少なからずあります。
講演では触れられませんでしたが、宇佐神宮(大分県宇佐市)も古墳の上に建っているそうです。これが卑弥呼の墓だという論者もいます。
【不純文學交遊録・過去記事】
邪馬台国は、ここにある。

今回の講演、残念ながら質問タイムは無し。
ラベル:古墳
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