2012年07月09日

ケツァルコアトルスは空を飛べたか

7月6日に開幕した福井県立恐竜博物館の平成24年度特別展『翼竜の謎‐恐竜が見あげた「竜」』を観覧しました。
翼竜は恐竜と極めて近縁の生物ですが、恐竜とは区別されています。また、鳥の祖先ではありません。恐竜と同じ時代、三畳紀から白亜紀にかけて生息していました。

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【進化のミッシングリンク、ダーウィノプテルス(世界初公開)】

翼竜には大きく二つのグループがあり、原始的なランフォリンクス類(嘴口竜亜目)と進化したプテロダクティルス類(翼指竜亜目)に分けられます。ランフォリンクス類は尾が長く、頭骨には眼窩の前に穴が二つ、首には頸肋骨があります。プテロダクティルス類は尾が短く、眼窩の前の穴はひとつ、頸肋骨はありません。
ところが近年、頭や首はプテロダクティルス類、尻尾や後足はランフォリンクス類の特徴を備えた、中間的な形態の化石が発見されました。2009年、この翼竜はダーウィン生誕200年と『種の起源』出版150周年を記念して、ダーウィノプテルスと名付けられました。その名の通り、進化のミッシングリンクとなる化石です。
ダーウィノプテルスは、卵をもった化石も発見されています。卵は鳥類のような硬い殻ではなく、爬虫類と同じく軟らかい殻で覆われていました。翼竜は孵化して間もなく、空を飛べたと考えられています。

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【胎内に卵をもつダーウィノプテルス(世界初公開)】

翼竜は鳥のように後足で助走して離陸したと考えられてきましたが、最近では前肢も利用して飛び立ったとする説が唱えられています。足跡の化石からは、翼竜が四足歩行していたことが判明しました。
最大の翼竜ケツァルコアトルスは、翼開長10m、体重200kg以上もあったと推定されており、地球史上最大の飛翔生物です。これほどまでに巨大な生物が本当に空を飛べたのか疑問も投げ掛けられていますが、飛べない生物が不必要に大きな翼を持っていたとは考えにくく、ケツァルコアトルスが飛べなかった可能性は低いとのことです。
今回の特別展は、世界初公開の化石を多数揃えたことが最大の魅力。さらに翼竜化石と同じ地域から産出した魚・昆虫や植物などの化石も一緒に展示されていて、当時の環境が想起されるのも好印象でした。普段は映像展示に目もくれない私ですが、翼竜の4本足離陸を再現したCGには見入ってしまいました。ケツァルコアトルスの生体復元模型も迫力満点。満足度の高い展示でした。

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【翼開長10m、史上最大の飛翔生物ケツァルコアトルス】

7月8日は「翼竜〜中生代の空の王者」と題して、中国地質科学院地質研究所教授の呂君昌(ル・ジュンチャン)博士が講演しました。
呂博士は中国遼寧省を中心に、竜脚類・獣脚類・翼竜の研究を行っています。ダーウィノプテルスは発見当初、別々の種類の化石を組み合わせたニセモノだと疑われたそうです。講演は、特別展の見どころを踏まえた分かりやすい内容で(博物館の研究員が通訳)、聴衆からの質問にも答えてくださいました。

Q.翼竜は長いものでは何年生きたのか
A.爬虫類と同様、20年くらい生きたと考えられている。短いものは5〜6年だろう。

Q.10mもある巨大な翼竜が空を飛べたのは、当時の地球は今よりも風が強かったり重力が弱かったり等、環境に違いがあったからなのか。
A.白亜紀末期には翼竜だけでなく、恐竜も大型化していった。当時の地球は生物が大型化するのに適した環境だったといえるが、何が生物の大型化を促したのかまでは分からない。

Q.同じ爬虫類のグループから、翼竜と鳥類という全く異なる飛行形態をとる生物が生まれたのはなぜか。
A.いい質問だが、まだ分かっていない。三畳紀に翼竜が生まれ、そのずっと後に鳥類が生まれた。最近では鳥類の祖先も三畳紀まで遡るという人もいる。三畳紀は進化の大きな飛躍が起こった時代だ。

Q.中国では、なぜ多くの翼竜化石が発見されているのか。
A.遼寧省は翼竜だけでなく、数多くの恐竜の化石が発見されている。翼竜について言えば、墜落した翼竜がそのまま化石になりやすい環境だったといえる。

Q.白亜紀末期の大絶滅で、なぜ翼竜は絶滅し、鳥類は生き残ったのか。
A.翼竜は大型化したが、鳥類は小型の種類が多く、小型の生物は環境の変化に適応しやすいため生き残ったと考えられる。

Q.一年にどれくらいの翼竜が発見されているのか。
A.中国では年に5〜6種類の新種が発見されている。

呂博士、ご回答ありがとうございました。
「翼竜の謎‐恐竜が見あげた『竜』」は10月8日まで。期間中、講演会や展示解説ツアーも予定されています。




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2012年06月11日

ベーシックインカム

とある高収入タレントの母親が、生活保護を受給していたとの問題が発覚しました。
生活保護は所得があると支給されず、その支給額が最低賃金を上回ると、働かない方が得になるモラルハザードが生じます。



そこで浮上してくるのが、ベーシックインカム(BI)。政府がすべての国民に対し、最低限の生活を保証するために現金を支給する制度です。働いて得た分は上乗せとなるので、生活保護のように労働するインセンティブは失われません。起業や転職へのチャレンジも容易となります。
ベーシックインカムの目的は、単なるセーフティネットではありません。年金・雇用保険・生活保護などのあらゆる社会保障をベーシックインカムに一本化すれば、行政コストが大幅に削減されます(フラットタックスと併せて考える論者もいます)。行政がスリム化されると公務員が失業して、ベーシックインカムのお世話になる人が増えるかもしれませんが(笑)
個人に支給するのか世帯に支給するのか、収入に関係なく全ての国民に一律に支給するのか、運用については意見が分かれるでしょう。また、不正な受給(不正な住民登録等)の防止も必要です。

ベーシックインカムと同様のアイデアは、既に半世紀も前に考案されていました。
ミルトン・フリードマンが1962年に著した『資本主義と自由』では、負の所得税が提唱されています。所得が基礎控除額を下回る場合に(基礎控除額−所得)×所得税率を支払うというものです。
フリードマンは、教育バウチャーも提案しています。子供のいる家庭に、教育費に相当するクーポンを支給するのです。収入に関係なく現金がバラ撒かれる「子ども手当」では、政府の支出が育児や教育に使われるとは限りません。

『資本主義と自由』では、政府がしてはいけない政策の数々が糾弾されるとともに、それに代わるアイデアが掲げられています。今年でちょうど出版から50年。読んで楽しい類の本ではありませんが、未だに新しい経済学の古典です。
新装版の解説は「霞が関埋蔵金」を暴いたことで知られる元財務官僚、高橋洋一が書いています。

(1月1日読了)
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2012年06月04日

ニソの杜から

若狭湾の大島半島にあるニソの杜(福井県大飯郡おおい町)。豊かな照葉樹が生い茂り、祭礼の日以外は足を踏み入れることを禁じられた聖なる杜です。
ニソの杜には、大島半島を開拓した24家の祖先が祀られています。ニソの語源には諸説ありますが、旧暦11月23日にこの地を祀ることから、ニソ(二三)と呼んだとするのが有力です。
素朴な森林信仰・祖霊信仰の形態を留めるニソの杜は、かの柳田國男が神社の原型を見出した民俗学の聖地です。そして山の向こう側には、再稼働問題に揺れる関西電力大飯原子力発電所があります。

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6月3日、ニソの杜から日本の未来を考えるシンポジウムが福井県小浜市で開催されました。

中沢新一(明治大学野生の科学研究所・グリーンアクティブ代表)
高橋源一郎(作家・文芸評論家・明治学院大学教授)
いとうせいこう(作家・クリエイター)
金田久璋(民俗学者・詩人)
中嶌哲演(小浜市明通寺住職)
松村忠祀(坂井市大湊神社宮司・元福井市美術館館長)

メンバーからして、明らかに反原発のシンポジウム。
私は原発推進派でも反対派でもありませんが。
なお、高橋さんは体調不良のため出演中止。金曜日にグリーンアクティブのツイッターで知ったのですが、朝のNHKラジオ「すっぴん」には出演していました。その後に何かあったのでしょうか?

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右から中沢新一、金田久璋、中嶌哲演、松村忠祀、いとうせいこうの各氏

森は生と死が循環することで、人類に食糧や木材などの資源をもたらしてきました。
森の思想が生きる若狭・大島半島を、原子力発電所に象徴される大量消費型文明やマネーゲームに興じる貨幣経済を見直すスタート地点にしようというのが、シンポジウムの大まかな主旨。

ニソの杜には開拓者の霊が祀られ、伊勢神宮の外宮にも古墳があります。清浄であることが求められる神社ですが、もともと神社は死を遠ざけてはいませんでした。
中沢さんは、神社が極度に死を避けるようになったのは平安時代の末期だといいます。平安末期といえば、NHK大河ドラマ「平清盛」の時代です。末法思想が流行し、源平の戦いで都が戦場となって、人がバタバタと死んでいきました。中沢さんは貨幣経済の話もしていたので、日宋貿易で銅銭が大量流入したことも関係があるのかもしれません。この時代、日本社会にどのような変化があったのか、質疑応答タイムがあったら聞いてみたかったのですが。

中沢さんは現代文明の象徴としてエネルギー、貨幣、そして橋を挙げました。大島半島に原子力発電所が出来たことで、地元には貨幣経済の恩恵がもたらされ、孤立していた集落は交通が便利になりました。しかし余所者が出入りするようになったため、大島の人々の家は、これまで掛けたことがなかった鍵を掛けるようになります。文明化によって、地域社会は大きく変貌を遂げることになったのです。
橋といえば、松村さんが宮司を務める大湊神社がある雄島(福井県坂井市)は、橋で本土と結ばれています。おかげで雄島の原生林を気軽に鑑賞できるわけですが、お酒が入ると饒舌になる松村さんからのコメントは、残念ながらありませんでした。

電力消費地と原発立地の関係は、都と鄙、中央と地方の関係であり、まさに日本社会の縮図です。
福井県美浜町に住む金田さんによると、町民の税金で生活している美浜町の職員ですら、隣の敦賀市に引っ越してしまうのだそうです。都会と田舎の格差問題に目を向けることなく、安易に脱原発を主張すべきでないという金田さんの言葉が印象的でした。また、ここ数年全国でブームになっている里山・里海作りに対しても、信仰の視点が欠けているとして批判的でした。

なしくずしの原発推進と同様に、なしくずしの脱原発も、私は支持できません。いま日本中の原子力発電所が停まっているのは、政府の命令でも事故を起こしたからでもなく、定期点検のために停止した原子炉が(3.11後の世間の空気によって)再稼働できずにいるからです。そこには長期的なエネルギー戦略はおろか、短期的な電力需給の見通しすらありません。特に関西地方では、この夏の電力不足が懸念されています。
このまま原発を再稼働せずにフェードアウトするなら、当面必要となる化石燃料を確保せねばなりませんが、今のままでは足元を見られて、日本は国際相場よりも高い石油や天然ガスを買わされるだけです。今後も一定の割合で原発に依存するとしても、40年以上経過した原子炉は(ストレステストに合格していても)廃炉にするなど、より踏み込んだ判断が求められます。
私は次世代原子炉の実現に期待していますが、この日のシンポジウムでも「未来に死を残す」と問題視された放射性廃棄物の処理に有効な解決策が提示できない限り、脱原発せざるを得ないと考えます。

このシンポジウムはUSTREAMで中継されました。福井市から小浜市まで高速道路を使って2時間、質疑応答もなかったので、自宅で視聴した方が良かったのかも。でも、臨場感は現場でしか得られませんね。
それから脱原発を訴えるのなら、会場の冷房温度を高めにして、節電に配慮すべきだったのでは。私は寒く感じました。
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2012年05月04日

古代越前の文字

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福井市立郷土歴史博物館の春季特別展「古代越前の文字」を観覧しました。
古墳に副葬された銘文入りの銅鏡、遺跡から出土した墨書土器、東大寺領の荘園を描いた絵図など、古代越前に関わる文字資料(一部、若狭、加賀もあり)を展示しています。
平成24年春季特別展 古代越前の文字 展示目録

今回の展示の目玉は、宮内庁書陵部が所蔵する泰澄の署名が入った法隆寺旧蔵経典(国内初公開)でしょう。
泰澄(682-767)は、白山信仰の開祖とされる奈良時代の修験僧ですが、実在の人物ではないとの説もあります。同時代の役小角みたいな感じですね。小角ほど派手なパフォーマンスは伝わっていませんが。
さて、泰澄実在の証とされるこの経典。書写されたのは天平2年(730年)ですが、泰澄和尚伝によれば、泰澄の号を名乗ったのは天平9年(737年)だとされています。同名の別人が書いた可能性もあり、実在を裏付ける決定的な証拠とはなっていません。謎は残されたまま。

東大寺荘園に関する文書からは、隣接する藤原仲麻呂(恵美押勝)の荘園との間で、水利権争いがあったことが判っています。朝廷の貴族たちは、東大寺の権益が強くなり過ぎるのを警戒していたようです。再現アニメが上映されていて、なかなか面白いのですが、エンドレスの映像はどこで始まりどこで終わるのかワカリマセン(笑)
都に近い越前は、全国六十六ヶ国のトップテンクラスに位置する豊かな大国でした。紫式部の父である藤原為時は、越前守になりたくて、時の一条天皇に奏上したといいます(藤原道長の計らいで実現)。
今となっては「ああ〜日本のどこかに〜あるのか分からぬ福井県♪」ですが(笑)

古代の文字という地味なテーマですが、平城宮跡出土の木簡など重文級の貴重な展示物を見ることができました。
ゴールデンウィークとはいえ、雨の日の朝だったせいか、来場者は少なめ。しかし博物館の駐車場は、意外にも県外ナンバー車ばかりでした。

【不純文學交遊録・過去記事】
白いカミサマ

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2012年05月03日

おのまいさんに魅せられて

福井県美浜町宮代の彌美神社で、毎年5月1日の例大祭で奉納される「王の舞」。
地元の方は「おのまいさん」と呼ぶそうです。

弥美(みみ)神社の祭神は、第9代開化天皇の孫で、若狭耳別の祖とされる室毘古王。大宝2年(702年)に創建された歴史ある神社です。この辺りはかつて耳村という地名で、近くには耳川が流れています。

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若狭地方には16箇所の神社に王の舞が伝わっており、衣装や舞い方がそれぞれ異なります。弥美神社の舞人は、ゴージャスな鳳凰の冠に天狗のような鼻高面、そして鮮やかな緋の衣。若狭が「民俗文化の宝庫」であることを実感しました。

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屈んだ姿勢から、周りながら立ち上がり、鉾を高々と掲げて上体を反らす。ゆったりとした速度ですが、動きが大きく時間も長い(4〜50分)ので、舞人は大変です。お稚児さんに鉾を渡すと、ふたたび素手になって舞い始めます。

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優雅な王の舞が終わると、最後は一転して激しい獅子舞。縦横無尽に暴れまわる獅子を裃姿の男たちが取り押さえようとしますが、なかなか捕まりません。観衆からは「まだまだ!」と声が掛かり、男衆が派手に転ぶと、境内は拍手と歓声に包まれました。

数年ぶりに訪れた弥美神社。参道の前には、巨大なコンクリートの橋脚がずらりと立ち並んでいました。舞鶴若狭自動車道が開通するとアクセスは便利になりますが、隠れ里のような雰囲気がどうなるのか気がかりでもあります。

彌美神社の王の舞(王の舞保存会)

ラベル:王の舞
posted by 【電脳呆人】不純総合研究所 at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 書を捨てて街へ出る会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月30日

ストラスブール美術館展

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4月30日、福井県立美術館で開催中のストラスブール美術館展を鑑賞しました。
ストラスブール(Strasbourg)は、その語感から想像されるように、ドイツとの国境に近いフランス北東部のアルザス地方に位置し、数多くの博物館・美術館を擁する文化都市です。
象徴主義、印象派、キュビスムなど、1998年に開館したストラスブール近・現代美術館の所蔵品83点を展示。さらに福井展では、小野光太郎さん(BBSアルミホイールで知られる小野グループ代表)のコレクションが加わりました。
こんな人どこかに居そうと思わせる写実的な肖像画から、目を凝らしても一体なにを描いたのか分からない抽象画まで、西洋近現代美術100年の歩みを体感することができます。
11時からは芹川貞夫館長によるギャラリートーク。近代美術とは何かという定義から始まって、主な展示作品と作者のプロフィールを紹介しました。

ラファエル前派のロセッティに始まり、ゴーギャン、ピカソ、マグリットといった近代美術史を飾る巨匠たちの作品を間近で見ることが出来るのは、地方都市では貴重な機会。大変満足いたしました。
ただ、福井県立美術館の特別展示室は、一度出てしまったら再入場不可。入場券に日付スタンプを捺して、当日に限り再入場できるようにして欲しいと思います。
福井県立美術館ストラスブール美術館展
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2012年04月08日

若狭の春に舞う

若狭地方には「王の舞」と呼ばれる民俗芸能が伝わっています。

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毎年4月8日に宇波西神社(福井県若狭町気山)で奉納される王の舞を拝観しました。
宇波西と書いて「うわせ」と読みます(近くに上瀬という地名があります)。
神武天皇の父、鵜草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)を祀る神社です。
今年は日曜日で、好天に恵まれたとあって、境内は大勢の観衆で賑いました。
デジカメを携えてレポートを書いている小学生の姿も。

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午後0時半頃、笛と太鼓のお囃子に乗って舞人が登場。
鳳凰の冠を戴き、鼻高面に緋色の装束。矛を掲げながら境内を三周します。
舞人は、四つの集落から交代で出します。近年は過疎化により、ひとつの集落は舞人を出せなくなってしまいました。
何百年にも渡って受け継がれていく間に、舞人の仕草やお囃子の調子が集落ごとに多少異なってきているそうですが、それもまた伝統。

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王の舞は、地域ごとに特色があります。
宇波西神社には、舞人を転ばせると豊作になるという言い伝えがあり、樫の棒を持った裃姿の男たちが舞人を守っています。この日は、背後から隙を突いた氏子に、舞人が抱え上げられる場面が何度か見られました。
観衆が静かに見守る彌美神社(福井県美浜町宮代)の王の舞と違い、こちらはかなり荒っぽいお祭りです。

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最後は拝殿の前で矛をお稚児さんに渡し、素手で舞います。
これは弥美神社の王の舞にも、共通する作法です。
その後、獅子舞、田楽、こども神輿が奉納されました。
「豊年じゃ〜大漁じゃ〜♪」
4月から5月にかけて、若狭各地で見られる王の舞。北陸に春の訪れを告げます。
ラベル:王の舞
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2012年03月20日

辰年の恐竜博物館

今年に入って初めて福井県立恐竜博物館へ。
東洋一特別館長による博物館セミナー「生命の歴史をひもとく 東アジアの恐竜研究最新情報!」を拝聴しました。

その前に館内を散策。
辰年(竜の年)ということで、さまざまな企画が…

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ちょっと不気味な恐竜ひな人形(制作過程はこちら

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長崎県松浦市で発見された国内最古級(約1800万年前)のサイの化石

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クリーニングを終えた竜脚類カマラサウルスの頭骨(アメリカ・ワイオミング州産)

恐竜博物館の研究員たちは、博物館のある福井県勝山市のみならず、国内外のいろんな場所で発掘調査を行っています。今回のセミナーは、東特別館長による最新の成果報告です。
中華人民共和国では、恐竜の足跡や卵の化石を発掘。翼竜は、地上では前脚を突いて4足歩行をしていたようです。前脚しかない足跡は、水辺で後脚が浮いた状態で歩いていたと考えられます。
タイ王国では、恐竜時代の初期である三畳紀の古竜脚類や、これまで生態系のニッチ(隙間)だった白亜紀前期の大型獣脚類(肉食)など、東アジアにおける恐竜の進化の空白を埋める発見が相次いでいます。昨年秋にタイを襲った大洪水は、川岸の余分な土砂を押し流して、発掘にとってはプラスだったそうです。

恐竜博物館は、今年3月に長崎県北浦町でハドロサウルス類(カモノハシ竜)の化石を発見しています(記事)。日本の恐竜化石の約8割を産出する福井県ですが、今後「恐竜王国」の地位が脅かされる可能性はないのか質問しました。
東特別館長の答えは、勝山市以上の恐竜化石の産地が見つかる可能性が、潜在的には「ある」。しかし福井県には、これまで培ってきた研究実績があり、より良好な化石の産地が現れても、少なくとも10年はその地位が揺らぐことはないと、断言しました。
また、長崎県で見つかった化石は白亜紀後期で、勝山市の化石は白亜紀前期。その時代(白亜紀後期)の勝山は、火山の噴火の影響で、恐竜が棲めない地になっていたそうです。期待した以上の回答が得られました。

さて、2012年度特別展のテーマが決まりました。
『翼竜の謎‐恐竜が見あげた“竜”‐』
会期は7月6日(金)から10月8日(祝)まで。
特別展講演会は7月8日(日)、中国地質科学院地質研究所の呂君昌博士。
全く予想していなかった企画で、これは楽しみです。
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2012年02月12日

チョコレートの伝説

2月14日は、キリスト教圏における聖ヴァレンタイン(ウァレンティヌス)の記念日であります。わが国では年間最大のチョコレートの消費日となっておりますが、その起源については定見がないようです(Wikipedia)。



タイトルから、最初はチョコレートの本かと思いました(笑)
表紙もゴディバを意識してか、チョコレート色ですし。

高級チョコレートとして知られるベルギーのゴディバ。その商標は、裸で馬に跨る女性像です。
イングランドの伝説によると、ゴディヴァは領主である夫の苛政を改めさせようと説得していました。度重なる妻の懇願に夫は、裸で馬に乗ってコヴェントリーの市場を端から端まで行き来したら、願いを叶えようと言います。ゴディヴァはそれを実行し、夫は約束どおり領民の税を軽くしました。
ゴディヴァが裸で馬乗りをした日、コヴェントリーの民衆は窓を閉めて見ないようにしましたが、ただ一人覗き見した仕立て屋のトムは、眼が潰れたとの挿話もあります。英語で覗き見する者を「ピーピング・トム」と呼ぶのは、この伝承に由来します。

ゴディヴァ夫人のモデルとなったゴードリヴは、11世紀のイングランドに実在した人物で、マーシアのアール(領主)だったレオフリッチの妻です。しかし「馬乗り」は全く以て史実ではありません。
実はコヴェントリーはゴードリヴ自身の所領であり、税率を決めることができたのは彼女をおいて他にいません。なにもレオフリッチに懇願する必要はなかったのです。また、コヴェントリーに民衆を苦しめるような重税はありませんでした。
裸で馬に跨るゴディヴァの伝説が生まれたのは、13世紀以降です。ゴードリヴの時代、コヴェントリーはまだ小さな農村で、伝説に語られたような街並みや市場はありませんでした。ピーピング・トムのエピソードが加わったのは、さらに後のことです。

古代史に比べてマイナーな中世史ですが、だからこそ隠された知へと至る楽しみがあります。
あの荒唐無稽な「ハーメルンの笛吹き男」は史実に基づいていましたが、ゴディヴァの馬乗りには何ひとつ根拠がなかったという事実。では信仰心篤い女領主ゴードリヴに、なぜ裸の馬乗り伝説が生まれたのか、残念ながら全くわかりません。
それでも十分楽しめました。考古学的なロマン溢れる古代史、現在の社会情勢とリアルにリンクした近代史に対し、事実と伝説とが綯い交ぜになったある種のいかがわしさが、中世史の魅力でしょうか。

(12月27日読了)★★★★★
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2012年01月23日

美学+ミステリ

またひとつ、ミステリ小説の新人賞が誕生しました。海外モノのSFやミステリでおなじみ、早川書房が主催するアガサ・クリスティー賞です。
第一回受賞作となったのは、森晶麿の『黒猫の遊歩あるいは美学講義』。アガサ・クリスティーならぬ、エドガー・アラン・ポーの作品群をモチーフとした連作短編集であります。



語り手はポー(作中での表記はポオ)の研究者で、大学院の博士課程に在籍する女性。語り手が体験する不可思議な出来事の謎を解き明かすのが、24歳の若さで美学教授に抜擢された「黒猫」と渾名される男性です。
各章はポーの作品のみならず、古今東西の作家や芸術家の作品論を絡めて構成されています。例えば第一話の『月まで』は、ポーの『モルグ街の殺人事件』を縦糸に、ジョルジュ・オスマンによるパリの都市計画と日本の『竹取物語』が横糸として織り込まれています。

収録作品されているのは、以下の6編(カッコ内はモチーフとなったポーの作品)。
『月まで』 (モルグ街の殺人事件)
『壁と模倣』 (黒猫)
『水のレトリック』 (マリー・ロジェの謎)
『秘すれば花』 (盗まれた手紙)
『頭蓋骨のなかで』 (黄金虫)
『月と王様』 (大鴉)

美学者と云う人種は、こんなにも面妖な理由で死ぬのでしょうか。飛躍しすぎでは。
日常的には起こらない偶然で、たびたび登場人物が結びつくのも都合が良すぎます。
どんなに自然界が神秘的でも、これは絶対に有り得ないという現象まで発生します。
これらは虚構の世界の出来事だからと、許すしかないのでしょうか。
それからポーの作品を論じるのが語り手の院生ではなく、若き教授の黒猫君というのもしっくり来ません。出る幕のない彼女が可哀そう。

いろいろと文句を書きましたが「美学+ミステリ」という今まで読んだことのない作風は新鮮で、雰囲気は十分に楽しめました。
ペダンティックでスノッブな文章は鼻につきますが、こんな洒落た会話を誰かとカフェで交わしてみたくなる、そんな読後感です。
一言でいえば、薀蓄系日常の謎ミステリ。ちなみに著者は、大学院の芸術学研究科博士前期課程を修了しています。

巻末の選評では、ポーの『黒猫』のネタバレが強く批判されていました。
私は既読なので影響はありませんでしたが。

(11月27日読了)★★★★
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